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2013年07月05日

NSAの通信傍受システム(5/5)

『監視カメラ社会』(講談社+α新書、2004、絶版)の第二章「NSAとエシュロン」その5/5

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■国際衛星通信の時代
 国際衛星通信の幕開けは1963年だ。米国で同年2月に通信衛星法にもとづいてコムサット社(*30)が設立され、7月に米国で打ち上げられた人工衛星シンコム2号が大西洋上の静止軌道に置かれた(*31)。1964年に設立された通信衛星組織は、翌1965年、米コムサット社や日本のKDD(現在のKDDI)などの出資によってインテルサット(*32)という国際組織となった。同年4月にインテルサット1(アーリーバード)が打ち上げられ、本格的な国際衛星通信の時代に入った。1976年には米国企業が海事衛星通信サービスをはじめ、それをもとに1979年にインマルサット(*33)が発足した。この通信システムは利用設備が簡単に持ち運べることから、船舶や報道機関がひんぱんに使うようになった。
 1960年代から70年代には、国際衛星通信は世界規模の重要な情報通信網であった。海底ケーブルの容量がかぎられていたため、当時の国際通信に占める衛星通信の比重は7割程度と推測される(*34)。STOA報告書によれば、コムサットが中継する国際通信の傍受は1971年にはじまった。エシュロン臨時委員会報告書でも、地上基地によるインテルサットの傍受は1970年代からはじまったとニッキー・ヘイガーは指摘している。傍受対象の衛星は拡大し、インマルサットなども対象となった。
 欧州議会のSTOA報告書では、UKUSA諸国が情報収集目的で現在運営している衛星はすくなくとも120あり、うち40が西側諸国の国際衛星通信の傍受用だと推計している(*35)。EUがエシュロンを問題視したのは、政治的には同盟関係にある国々がEU域内の民間企業や個人の国際衛星通信の傍受に用いられている点だった。
 ここでひとつの素朴な疑問が私には浮かぶ。衛星の打ち上げにはいちどに100億円単位の費用がかかるのだから、国際衛星通信はそこまでコストをかけてまで傍受せねばならぬほどの役割をはたしているのか、と。結論からいえば、1980年代までの状況なら答えはイエスであり、1990年代以降ならノーだ。すでに示したように、1970年代には衛星通信が国際通信の主要なルートであったし、1980年代当時は、VSAT(Very Small Apparture Terminal)に代表される衛星通信が、企業レベルで大々的に広がるという予想もあったのだ。
 しかし、1990年代にはインターネットが普及し、光ファイバや同軸ケーブル(を用いたADSL)による大容量通信が拡大した。国際衛星通信はすでに「主役」ではない。結局、エシュロンという通信傍受システムは、1950年代・60年代のミサイル防衛、1970年代・80年代の国際衛星通信傍受を前提とした仕組みという性格があることは否定できない。
 だからといって、エシュロンの脅威を過小評価すべきではない。この監視システムの中核は通信傍受衛星や衛星通信傍受基地などの「耳」にあるのではない。収集した情報をデータベース化・ネットワーク化した仕組みにこそあると私は考える。なぜなら、このような情報システムは、情報収集手段に関係なく機能するからである。衛星通信の役割は低下したとしても、インターネットなどから収集した情報を管理する強力なシステムは威力を発揮しうるのだ。

■SILKWORTHの開発
 エシュロンに関する資料でNSAの「P285作戦」というキーワードを目にする。CANYONの成功によって人工衛星による宇宙からのCOMINTの役割が注目されたため、傍受の範囲を拡大させることが作戦の目的だ。その一環として、傍受した通信を地上基地で処理するためのシステム「SILKWORTH」(シルクウォース)が開発されたのである。
 1960年代から70年代にかけて、世界規模で通信を傍受する態勢が築かれる一方で、収集された情報を分析し「ウォッチ・リスト」と照合する作業の多くは、手作業に依存していた。1980年代に入ると、NSAは「P415作戦」のもとで、情報の収集や分析作業のさらなる自動化を進めたのである。
 それが意味するところは、世界各地の傍受基地とフォートミードにあるNSA本部とのネットワーク化、傍受した情報の転送、分析の基盤となるデータベースの共有などだ。1980年代にNSAとUKUSA諸国はEMBROIDERY計画として開発されたこの地球規模のネットワークを構築した。これにより遠隔地にいる分析者は各収集基地のコンピュータを利用し、結果を自動的に受け取れるようになったのである。分析のためのデータベースは「辞書」と呼ばれ、ここには特定の標的の名前や興味の対象、住所、電話番号などが登録される。機能はインターネットの検索エンジンのようなものだという(*36)。
 かつてのエシュロン論議では、一般市民の会話が「辞書」に登録されたキーワードで自動的に走査されるかの論調が多かった。しかし実際には、キーワードに相当するのは、傍受した通信を分類するタグ(札)のようなものではないかと私は推測している。ニッキー・ヘイガーの臨時委員会での発言に、データを分類するコードの話がでている。たとえば日本の外交情報(Japanese diplomatic intelligence)であれば「JAD」といった形式だ。通信の発信・受信アドレス、中継経路などのデータは、たしかに登録を自動化できるだろう。しかし、コード化作業の多くは分析者に委ねられているのではないか。
 とはいえ、こうした作業を自動化するための技術開発が進められていることは間違いない。実際、第4章で述べるTIAと呼ばれるDARPA開発プロジェクトは、情報分析者の支援ツールを築こうとしている。欧州議会報告書に描かれたエシュロン像は、1990年代のIT革命以降の技術的な環境から比較して時代遅れの面があるし、国際衛星通信を標的にするなど、通信需要の移行に対応していないかの印象を与える。しかし、NSAがIT革命を傍観するはずがない。すでにエシュロンの“更新”は進行中と考えるべきだと私は推察する。

■そして“新バージョン”へ
 エシュロン拡張の経緯を見ると、情報収集面よりもむしろ、情報管理面で大規模なシステム化が進められてきたことがわかる。そして衛星通信だけでなく、NSAはインターネットも監視を進めている。検索ロボットとおなじシステムを持ち、ひんぱんにWebをチェックしている。また、1995年ごろから、インターネットのバックボーンの主要な中継点に「探知(スニッファ)」ソフトウェアをNSAはインストールしているという。収集された膨大な情報は、おそらくは衛星通信の傍受記録とおなじくデータベース化されるのだろう。
 エシュロンを開発したのは国防総省のNSAだった。インターネットの技術的な土台の形成を主導したのは、おなじ国防総省に属するDARPAであった。21世紀に入ってから、やはり国防総省の主導で高度な監視システムが開発されている。エシュロンの“旧バージョン”は国際衛星通信を標的としていただけかもしれないが、“新バージョン”は監視の範囲を桁違いに広げようとしているのである。
 回線のブロードバンド化が進んだ結果、インターネットを行き交うデータが激増しただけでなく、末端ユーザのインターネットの利用スタイルが変わった。さらに、マイクロチップの登場、位置情報システムの普及、画像処理技術の進化によって、コンピュータおよびネットワークの社会的な役割が激変しつつある。これらはエシュロンに、あるいは巨大な監視システムに、どのような転換をもたらすのだろうか。
 また、通信の主役となったインターネットを監視しようとするのは、じつはNSAだけではない。インターネットを「不正」な目的で利用するのは、テロリストや犯罪組織以外にもいるからだ。いわゆるクラッカー(破壊者)もそうなら、一般の社会人、学生もまた、インターネットでさまざまな悪さを仕掛けることがある。したがって、インターネットに接続するサーバを管理する者は、利用者をどう監視するかという問題に取り組まねばならない。


(*31)この年の11月にはじめて日米間で衛星中継されたテレビ報道が、ケネディ大統領暗殺である。1964年8月に打ち上げられたシンコム3号は東京オリンピックのテレビ画像を北米に生中継している。
(*32) International Telecommunications Satellite Organization:国際電気通信衛星機構
(*33) Iinternational Maritime Satellite:国際海事衛星機構
(*34)第90回電気通信技術審議会(1996年5月27日)における関本忠弘氏の発言より。議事録はhttp://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/japanese/teletech/60702a03.htmlに掲載されている。
(*35)傍受にあたっていると目される地上基地に置かれたアンテナの数から単純に集計したもの。
(*36)1991年、英国のテレビ放送はGCHQのウェストミンスターにある「辞書」コンピュータの動作状況を伝えている。


※この内容は執筆時点で確認したものである。また、書籍の内容はこのテキストから校正を経たものであるため、一部異なっている部分がある。
※リンク先はすでに切れている可能性もある。

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NSAの通信傍受システム(4/5)

『監視カメラ社会』(講談社+α新書、2004、絶版)の第二章「NSAとエシュロン」その4/5

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■NSAの秘密計画
 1952年に設立されたNSAは、「外国の通信」(*21)の傍受を大きな任務とした。NSAを最初に直接規定した法律は1959年NSA法(*22)だが、これは組織運営を定めたにすぎない。NSAは「No Such Agency」「Not Say Anything」の略といわれるぐらい、実態は長らく明かされてこなかった。活動状況が知られるようになったのは、1972年に起きたウォーターゲート事件を契機に、国家による非合法的な情報収集活動に米世論の非難が高まった70年代半ばのことだ。NSAの活動に法的な枠組みをはめたのは、1975年に設立された情報活動に関する委員会であった(*23)。
 1975年10月29日および11月6日に開催されたチャーチ委員会の公聴会(*24)において、NSA長官のアレン中将(当時)は、NSAが国際電話・電信を組織的に傍受していることを認めた。その後の情報とあわせると、1945年以降、NSAおよびその前身は、米国の主要な国際電信事業者(RCA Global、ITT World Communications、Western Union International)の通信を体系的に捕捉していた。
 「SHAMROCK」というコード名で呼ばれていたこの活動は、米国以外の国の通信を収集することが目的であった。1975年5月15日付の国防長官命令によって終結するまでの30年間ものあいだ、シャムロックは存在が秘されていたのである。チャーチ委員会においてアレン長官は、シャムロック計画では米市民の通信も収集されていることを認めた。国際通信とはいっても、米国市民が外国に発信したもの、外国から米国市民に発信したもの、米国市民が外国に滞在する米国人に発信したものも含まれる。これらは結果的に憲法で保障された米国市民の権利を侵害する可能性が高かったため、NSAの活動を法的に制限することになったのである(*25)。
 東ドイツなどの旧東欧共産圏の国であれば、国際電話が情報機関によって組織的に傍受されることなど、常識といってよかった。現実には、米国というもっとも自由が保障されると考えられている国でさえも、おなじことをやっていたのである。私はこのような行為を肯定するつもりはないが、自国の権利を守るためには、ここまでなりふりかまわない情報収集が断行されうるのだという現実を思い知らされてしまうのだ。

■依然謎めくNSAの実態
 NSAの行動基準は、1981年12月4日にレーガン大統領が署名した大統領命令12333号で詳細に決められた。これによってNSAの任務は、国防長官の責任のもとで、外国情報の収集や分析、軍を含む関係省庁への情報提供、防諜のためのSIGINT活動、軍事行動に関連する諜報活動の支援、米国のSIGINT活動および通信に関連する研究開発などを含むことが明確になった。
 2000年4月12日、下院情報委員会の「NSAの法的権限」に関する公聴会(*26)において、NSA長官のマイケル・ハイデン将軍がNSAの任務について述べた。すなわち、電子的な監視によって軍関係の外国通信を収集すること、国際テロ・麻薬・兵器拡散に関する情報を関係官庁に提供することである。ただし、NSAはすべての通信を収集しているわけではなく、情報を提供できる相手も政府が認めた者にかぎられ、米国企業に直接情報を提供することは認められていないと証言した。
 NSAの情報収集活動の限界については、2002年4月24日の欧州議会エシュロン臨時委員会においてニッキー・ヘイガーも指摘している(*27)。ヘイガーによれば、エシュロンの能力を活かせるかどうかは分析者の技量次第である。このような制約がある以上、あらゆる人をスパイするのではなく、もっとも関心のある情報の収集に集中しているのは当然のことだ(*28)。ジェイムズ・バンフォードもまた、10人以上の元および現役のNSA職員へのインタビューを経たうえで、NSAは無作為に情報を収集しているわけではない、と著書のなかで指摘している。ヘイガーの一日前におこなわれた臨時委員会でも、彼はこの内容を確認している。
 しかし、米企業への情報提供については、依然としてあいまいな部分が残されている。2001年1月22日のエシュロン臨時委員会でダンカン・キャンベルは、米国は情報機関を米企業の商談獲得に利用していると強調し、傍受内容はCIAや米商務省アドボカシーセンターを通じて米企業に渡されていると語っている。他方、バンフォードの委員会発言では、20年間にわたる調査を通じ、NSAが私企業の通信を傍受したことはあっても、それを米企業に渡した証拠はえられていないという。
 ヘイガーの委員会発言では、どの企業がどのような支援を受けたかという具体的な事例は知らないとする一方、インタビュー調査の時点において、ニュージーランドの情報機関にとって経済情報は主たる標的ではないにしても、定常的な収集対象ではあったと述べている。たとえばそれは、牛肉取引に関することや、南太平洋での日本の開発計画に関する事柄で、どれもニュージーランド企業には関心の深いものであった。
 エシュロンの運営母体であるNSAの活動実態は、結局のところ、よくわかっていないとしかいいようがない。他方で、情報収集面で大きな権限と技術力を持っていることは間違いない。ゆえに、憶測に憶測が重なってNSAの存在感が大きくなってしまうのだ。また、欧州議会には、情報機関や監視システムの必要性に異論はなくても、自国の憲法で禁じている活動を自国外でおこなうNSAそのものへの反発がある。そのことが、エシュロン問題を大きく取り上げる大きな動機になったのではないか。

■エシュロンの威力と限界
 1960年代までは、監視はローテクによる人海戦術頼みであった。たとえば旧東ドイツは50万人もの秘密諜報員を雇っていたが、そのうちの1万人は、市民の電話会話を聴いて記録するためだけに必要だったのである。米国では60年代から電子的傍受システムの必要性が認められ、この年代に宇宙からのSIGINTが実施された。
 現在の日本のように、通信需要のかなりの部分を有線でまかなっているのは、経済活動の活発な地域が高密度で集積しているからである。逆に、ロシアのシベリアに通信網を築こうと思ったら、無線のほうが経済的なことは明白だ。実際、旧ソ連ではマイクロ波無線が長距離通信の中核を担っていた。そして米国は1960年代後半に、人工衛星を使ってその傍受をおこなった。これがNSAやCIAにとって予想以上に効果的であることが判明したため、衛星を基盤にした傍受システムが拡張されたのである。
 米国が通信傍受衛星を打ち上げた経緯を〈表3〉にまとめてみた。
 2002年4月4日、地球近傍小天体の観測をおこなっているNPO(非営利組織)の日本スペースガード協会は、「静止軌道上に巨大衛星システムを発見」と発表した(*29)。「衛星」は東経120度近辺に位置し、完全な静止軌道上ではなく、継続的に軌道制御をおこなってた。米空軍作成の人工衛星のリストにも記載がないため、これは東アジア地域のSIGINTをおこなっている傍受衛星である可能性が高いと考えられている。偶然とはいえ、宇宙空間に怪しげな人工衛星が浮かんでいる事実があらわになったのだ。
 宇宙空間と地球とのあいだを遮るものはないのだから、有線は無理でも無線の通信は根こそぎ傍受できる——こうした発想から、エシュロンは個人の携帯電話をも網羅的に傍受するかのごとく語られてきた。しかしそれは非現実的である。人工衛星が周回する位置から傍受できるのは、マイクロ波・短波など、通信電波のごく一部にすぎない。弱い電波の傍受は低軌道でなければおこなえないが、低軌道の衛星は移動速度が速いために、特定のターゲットを長時間傍受するのは不可能なのだ。
 エシュロンの脅威を語るときに、「宇宙からの傍受」と形容されることがあるが、裏を返せば、傍受の範囲は宇宙でも受信できる電波に限定されるということだ。中東の衛星電話は傍受できても、渋谷の携帯電話は困難なのである。いまでも地道な情報収集活動も必要であり、NSAやCIAは小型の傍受装置を開発し、それを諜報員に持たせて使用させようとしている。スパイは失業しないのだ。
 電波の一部しか傍受できないのであれば、エシュロンは何を標的にしているのか。冷戦時代に旧ソ連のマイクロ波を標的にしていた傍受システムは、1985年以降は中東の衛星電話に「耳」が傾けられるようになる。1987年・88年の米海軍のペルシャ湾での作戦、1991年の湾岸戦争を支援した。また、アルカイダのビン・ラディンの衛星電話を傍受していたのも、米国の通信傍受衛星であろう。そのほかにも、国際的な機関がネットワークを運営している国際衛星通信がエシュロンの傍受対象だ。


(*21) 1950年3月10日政令9号(NSCID9)によって、軍事、政治、科学、経済などの面で価値のある情報を含む政府関係ならびに他のすべての通信と定義されている。
(*22) The National Security Agency Act of 1959(P.L.86-36) なお、NSAに関する国防総省1971年12月23日命令S-5100.20号は、NSAは国防総省に属する独立した部局であり、国防長官が監督すると規定し、任務の第1は米国のSIGINT活動であり、次いで全省庁に安全な通信システムを提供することであるとした。
(*23) 1975年1月27日、米上院は「情報活動に関する政府工作の特別調査委員会(チャーチ委員会)」を設置した。同年2月19日には下院も情報特別委員会(ネッツィ委員会、5ヶ月後にはパイク委員会に移行)の設立を決めた。チャーチ委員会では諜報機関の非合法的な活動をセンセーショナルに扱い、パイク委員会では情報機関の役割や対費用効果を調査した(“The Pike Committee Investigations and the CIA”, Gerald K.Hainesより→http://www.cia.gov/csi/studies/winter98-99/art07.htmlを参照)。そしてパイク委員会は、NSAの存在は特別な立法で規定し、シビリアンコントロールのもとに置くよう提案した。
(*24)Select Committee to Study Governmental Operations with respect to Intelligence Activities(議長はチャーチ上院議員)
 公聴会発言の公開部分は http://cryptome.org/nsa-4th.htm, http://cryptome.org/nsa-4th-p2.htm で公開されている。
(*25)委員会調査による問題提起を受けて、1978年に「Foreign Intelligence Surveillance Act」(FISA:外国情報監視法)が成立し、米国内での外国情報を電子的に監視する手続きが定められた。外国機関の通信は司法長官の許可があれば監視でき、合衆国人(米国籍保有者および合法的な永住権保有者)の通信の監視には裁判所の令状が必要となった。これらの内容は“The National Security Agency:Issues for Congress”, Richard A.Best,Jr., January 16,2001, Congressional Research Service, The Library of Congressに詳しい。テキストはhttp://www.fas.org/irp/crs/RL30740.pdfで公開されている。
(*26) The House Permanent Select Committee on Intelligence,hearing on", The Legal Authorities of The National Security Agency", April 12,2000
(*27) "Nicky Hager appearance before the EP Echelon committee", Nicky Hager, cryptome.org, 2001.4.24
(*28) "Nicky Hager Appearance before the European Parliament ECHELON Commitee"より。この発言はhttp://cryptome.org/echelon-nh.htmでテキストが公開されている。
(*29)「2001年12月22日に偶然観測した方向に約9等級ととても明るい静止軌道物体を発見した。その高度から直径が約50mもの巨大なシステムであることがわかる」(同協会Webページ掲載のリリースより)と伝えた。日本スペースガード協会のホームページURLはhttp://www.spaceguard.or.jp/ja/index.html
(*30) COMSAT : communications satellite corporation

表3
打上時期衛星名目的備考
1968.8CANYONCOMINT1977年までに7個打ち上げられ、予想以上の成果をあげた。
1978.6CHALETCOMINTCANYONの後継機、後に名称をVORTEX、さらにMERCURYに変更した。
1979.10英国メンウィーズヒルを地上基地に使用した。
1967-1985RHYOLITESIGINT巨大なパラボラアンテナを広げVHF・UHF電波を傍受する。
AQUACADE
1985以降MAGNUMSIGINTRHYOLITEより大規模な衛星で、テレメトリー、VHF電波、移動体電話、ページングシステムを傍受する。日本スペースガード協会が発見した巨大物体は、MAGNUMのひとつではないかという推測がある。
ORION
出所:「傍受能力2000」(欧州議会STOA報告書)より作成

※この内容は執筆時点で確認したものである。また、書籍の内容はこのテキストから校正を経たものであるため、一部異なっている部分がある。
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NSAの通信傍受システム(3/5)

『監視カメラ社会』(講談社+α新書、2004、絶版)の第二章「NSAとエシュロン」その3/5

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■エシュロンの幻影と輪郭
 ここで簡単に整理しておくと、エシュロンとは、米国、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの英語圏五ヶ国がUKUSA秘密協定のもとで共同運営している地球規模の通信傍受システムだ。傍受対象は主として国際衛星通信である。エシュロンを構成するのは、宇宙空間で通信を傍受する人工衛星、宇宙空間から返される電波を傍受するパラボラアンテナ基地、傍受したデータを中継し分析するコンピュータ・ネットワークおよびデータベースシステムであり、技術的な特徴および規模はインターネットにほぼ相当すると推察されている。
 情報機関による傍受や盗聴の対象には、レーダー波やミサイル発射指令信号などのシグナルも含まれる。これらの収集活動は総括してSIGINTと呼ばれている。一方、SIGINTのなかでもとくに通信に限定したものをCOMINT(Communication Intelligence)という。SIGINTは1940年代から米軍が実施してきた。今日、エシュロンが担っているのは、地球規模のCOMINTである。
 こうした輪郭は、1988年にダンカン・キャンベルがはじめて描き出した(*13)。そして1990年代に入ってからは、ニュージーランドのニッキー・ヘイガー(*14)など多くのジャーナリストや研究者が、関係者への地道なインタビューや機密解除された公文書などを丹念に調べたうえで明確にしてきたことである。彼らがもたらした情報は、1998年から2001年にかけて、日本のマスコミも断片的に紹介してきた。ところが、日本でのエシュロン関係の報道は、米国で流れた噂レベルの情報を伝えるものも少なくなかった。そもそも情報機関の関係者の証言とされる情報ですらも、当局による情報操作である可能性は否定できないのだ。
 こうした点に注意しながら、欧州議会報告書でまとめられた情報を中心にエシュロン像を描いてみると、この傍受網は、国際通信の傍受を想定したシステムなのではないか、というのが私の感想である。

■過大評価されたエシュロン像
 そもそも「エシュロン」とは具体的に何なのか。米国のNGO、ナショナル・セキュリティ・アーカイブ(National Security Archive)の元研究員ジェフリー・ライチェルソン(*15)は、2001年5月11日にワシントンDCで開催された臨時委員会で、エシュロンは情報活動で交換するデータを選別するコンピュータ・ネットワークの名称であると述べた。ジェイムズ・バンフォード(*16)は著書『ボディ・オブ・シークレッツ(Body of Secrets)』(2001年刊行)のなかで、エシュロンはUKUSA協定のもとで設置された傍受システムの名称であると書いた。また、マーガレット・ニューシャムは、傍受システムは「シルクウォース(SILKWORTH)」と呼ばれ、エシュロンはネットワークの名称であると証言した。
 エシュロンの輪郭をもっとも克明に描き出したのは、欧州議会が1998年から2001年にかけてまとめた報告書だ。エシュロン問題を熱心に取り扱った産経新聞の連載「エシュロン大研究」(*17)でも、欧州議会の報告書に準拠した箇所が多い。ここでは欧州議会で報告書が取りまとめられた経緯と内容の概略を〈表2〉にまとめてみた。
 欧州議会のエシュロン臨時委員会報告に対し、真新しい事実は何もないとの批判がある。列記されている事実関係や証言などは、たしかにそれまでのマスコミ報道やNGOが公表してきた事柄だ。しかし、エシュロンに関しては憶測や風説が多かった。欧州議会報告書では、それらを取捨選択し、調査時点までに明かされてきた事実の断片を網羅的に整理している。今後のエシュロン研究の土台となった点を私は評価したい。
 2001年の最終報告書で強調された点は、それまでに考えられてきたエシュロンの能力——とりわけ1998年の暫定レポートで言及されていた「地球上のあらゆる通信を傍受可能」という推測が、過大評価であるとの結論だ。
 エシュロンと呼ばれる地球規模の通信傍受システムが、UKUSA協定にもとづいて英米およびカナダ、オーストラリア、ニュージーランドの五ヶ国によって運営されていることは、疑問の余地がないと断定している。エシュロンの目的が個人や企業の通信を傍受することにある点も、大きな問題であるとの認識を示している。他方、監視システムは衛星通信の傍受が中心だと指摘した。有線通信の盗聴や地上無線波の傍受はおこなわれているけれども、あらゆる通信を網羅的に傍受することは実現不可能であるとも結論づけた。
 エシュロン像は、1990年代末の報道や評論で言及された内容にくらべると、ずいぶんとこぢんまりとした姿に落ち着いた。しかし、現実の技術レベルから推測するなら、この報告書に描かれた姿が“正解”に近いのではないかと私は考える。ただし、米国政府はエシュロン以外の監視技術も開発しており、最近になって判明したシステムのなかには、「過大評価されたエシュロン像」に近いものもある点には注意する必要がある。

■発展途上の技術
 エシュロン臨時委員会報告書からは、エシュロンの技術的な弱点をふたつ読みとれる。第一に音声会話の自動認識が困難なこと、第二に光ファイバ通信を簡単には傍受できないことだ。
 第一の点については、1999年にダンカン・キャンベルが執筆した科学技術オプション査定プログラム事務所(STOA:Scientific and Technological Options Assessment)報告書においてすでに、能力的な限界が指摘されている。NSAは40年以上も音声認識研究を支援しているものの、音声の自動認識をCOMINTで応用しようと思ったら、いちども聴いたことのない話者を対象に、マルチスピーカー・マルチリンガル環境での動作を想定しなければいけない。特定の言語を用いる特定話者の会話であれば、実用に耐える認識率を達成できる。しかし、不特定話者の会話内容を自動認識することは現時点でもきわめて困難なのだ。
 一方、声紋型の話者特定システムは、すくなくとも1995年以降に通信傍受で応用されている。エシュロンの〈辞書〉を使用しているSIGINTスタッフによれば、電話の会話音声から特定の話者を検索するプログラムを組むことは十分に可能であるという。また、STOA報告書でも、麻薬カルテルのリーダーであったパブロ・エスコバールの逮捕を話者特定システムの成果としてあげている。
 9.11後もNSAの話者特定システムは駆使され、テロ立案の中心人物とされるアルカイダ幹部ラムジ・ビナルシブ被告の逮捕(2002年10月11日)をもたらした。ニュースを報じた英国サンデータイムズ紙によると(*18)、米国情報機関は数ヶ月間、パキスタンからの全衛星電話を傍受し続けた。NSAは電話会話から声紋を照合し、逮捕の前の週に捕捉したひとつの会話がビナルシブ被告の声紋と1致することを発見した。この声紋は、同月初頭にカタールのアルジャジーラ放送のインタビューにビナルシブ被告が応えたときにえられたものである。
 第二の点、光ファイバ通信の傍受については、技術とコストの問題がからんでくる。同軸ケーブルの通信であれば、軸から漏洩する電磁波を傍受できる。STOA報告書によれば、1970年代から80年代初頭にかけて、米海軍は潜水艦を用いてオホーツク海の海底ケーブルにコイルを巻きつけ、ソ連(当時)の通信を傍受していた。コード名「IVY BELLS」で実行されたこの作戦は、元NSA職員が情報をソ連に売り渡したため1982年に終結した。しかし、その後も米国は同様の作戦を他の海域でもおこない、1985年には、欧州と西アフリカの通信を傍受するために地中海のケーブルにもコイルを仕掛けた。
 米海軍幹部の発言によると、9.11以降、米軍の攻撃型原潜の任務のなかで通信傍受が大幅に増えているという(*19)。原潜であれば一ヶ月以上もの長期にわたってケーブル通信を傍受できるうえ、傍受活動には必須の隠密行動も保てるわけだ。ただしこの作戦は、高価な潜水艦をいわば借り切るわけだから、衛星通信の傍受にくらべてコスト高なのだ。大規模で網羅的な通信傍受には適していない。
 一方、電磁誘導が不可能な光ファイバ通信、とりわけ電気的な処理で信号を中継する必要のない新世代の光ファイバ通信では、同軸ケーブルのような方法では傍受ができない。ところが、ダンカン・キャンベルが毎日新聞に指摘したところによると、NSAは光ファイバ通信の傍受計画に着手した(*20)。彼は、NSAが申請した光ファイバ技術の特許資料を分析し、さらに米軍関係者の話を総合したうえで、そう結論づけたのだ。
 エシュロン臨時委員会報告書ではエシュロンの傍受能力の限界が浮き彫りになる一方で、それを克服しようとする努力をNSAは進めている。実際、9.11では、エシュロン(およびFBIのカーニボー)が同時多発テロを防げなかった事実が鮮明になった。そして非難の矛先を向けられたNSA、CIA、FBIなどは、むしろこれを監視システム強化の契機と位置づけているようだ。傍受能力の限界の露呈は監視システムの否定ではなく、テロ克服という至上命題のもと、その強化の推進力に転換されている論理にこそ警戒が必要だと私は考える。


(*11) "Echelon was my baby:interview with Margaret Newsham", Bo Elkjaer & Kenan Seeburg, November 17,1999, Ekstra Bladet, Denmark、テキスト(英訳)はhttp://cryptome.org/echelon-baby.htmで公開されている。
(*12) http://cryptome.org/echelon-60min.htmにインタビューの内容がテキストで公開されている。
(*13) "Somebody's listening", Duncan Campbell, New Stateman, August 12,1988
テキストの全文はhttp://duncan.gn.apc.org/echelon-dc.htmで公開されている。
(*14)" Secret Power-New Zealand's Role in the International Spy Network", Nicky Hager, Craig Potton Publishing, New Zealand, 1996 ※ http://www.fas.org/irp/eprint/sp/index.htmlで1・2章の全文を読める。
(*15) NSAの傍受活動や組織形態などに関する機密解除文書をインターネットで公開している。公開した文書に「Echelon」の名称が含まれており、これがエシュロン実在の根拠のひとつになった。http://www.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB23/index.htmlに関連文書が公開されている。
(*16) NSAのSIGINT活動にはじめて取り組んだ。1982年刊行の"The Puzzle Palace"でUKUSA協定を詳細に記述した。
(*17)連載終了後は加筆修正を経て『エシュロン——アメリカの世界支配と情報戦略』(産経新聞特別取材班/著、角川書店/刊、2001年12月10日発行)に単行本化された。
(*18) "SEPT 11 MASTERMIND TRAPPED BY PHONE CALL", Sunday Times, September 15,2002, Nick Fielding and Nicholas Rufford, "PHONE CALL GAVE AWAY AL-QAEDA HIDEOUT;FOCUS", Sunday Times, September 15,2002, Nick Fielding
(*19)『米原潜/テロ後、任務が3割増/電話などの通信傍受で』琉球新報夕刊、2002年7月8日、森暢平駐在員
(*20)『[テロと国際社会]第4部 自由の行方1 その1 海底にも「闇の耳」』毎日新聞朝刊、2002年3月18日

表2
時期活動内容
1997年欧州議会で科学技術政策を審議するSTOA(Scientific and Technical Options Assessment:科学技術選択肢評価)委員会がエシュロン問題を取り上げた。
1997年
12月18日
「An Appraisal of The Technologies of Political Control(政府の管理技術の評価)」という暫定報告書が同委員会で提示された。【*1】
1998年9月STOA報告書の改訂版が公開された。【*2】
1999年10月全5巻からなる「Development of surveillance technology and risk of abuse of economic information(監視技術の開発と経済情報悪用の危険性)」というSTOA報告書が公表された【*3】。NSAやエシュロン、UKUSA協定が記述された第二巻「傍受能力2000」(この巻の公開は1999年4月)はIPTV社(英国スコットランド、エジンバラ)のダンカン・キャンベルが執筆。
また、第5巻「電子メディアの傍受に対する潜在的な脆弱性によって生じる経済的危機の認識」では、有識者に対して通信傍受の認識をデルファイ形式のアンケート調査をおこなうとともに、エシュロンを含む地球規模の傍受システムによる事例を提示している。レポートを執筆したのは、民間コンサルタント会社のゼウスEEIG(European Economic Interest Group)社(ギリシャ、パトラ)のニコス・ボゴリコス。
2000年7月5日欧州議会はエシュロンの臨時調査委員会を発足させた。
2001年
7月11日
欧州議会は調査委員会より最終報告書を受け取った。報告書(英語版)は付属資料とあわせて全194ページからなり、エシュロンの実在を証明する事実関係や証言を整理した【*4】。また、通信傍受の技術的な可能性、国際的な傍受システムを構築する経緯、米国と英国が締結した秘密協定の概要を記述した。
【*1】全十一章と付属資料とから成るこのレポートを執筆したのは、オメガ財団(英国マンチェスター)のスティーブ・ライト研究員。第四章の「Developments in Surveillance Technology(監視技術の開発)」では盗聴や通信傍受が取りあげられ、第四節「National & International Communications Interceptions Networks(国内および国際通信の傍受ネットワーク)」では、米国NSAのEUにおける通信傍受ネットワークに言及している。
【*2】全体構成は九章と付属資料。「Developments in Surveillance Technology(監視技術の開発)」は第七章に移っている。改訂版報告書は次のURLで入手できる。http://www.europarl.eu.int/stoa/publi/166499/execsum_en.htm
【*3】二〜五巻の内容は次のとおり(第一巻は二〜五巻の概要)。
二巻「Interception Capabilities 2000」
三巻「Encryption and cryptosystems in electronic surveillance: a survey of the technology assessment issues」
四巻「The legality of the interception of electronic communications: a concise survey of the principal legal issues and instruments under international, European and national law」
五巻「The perception of economic risks arising from the potential vulnerability of electronic commercial media to interception」
 各巻(英語版)は次のURLでPDF版を入手できる。
http://www.europarl.eu.int/stoa/publi/pdf/98-14-01-1_en.pdf
http://www.europarl.eu.int/stoa/publi/pdf/98-14-01-2_en.pdf
http://www.europarl.eu.int/stoa/publi/pdf/98-14-01-3_en.pdf
http://www.europarl.eu.int/stoa/publi/pdf/98-14-01-4_en.pdf
http://www.europarl.eu.int/stoa/publi/pdf/98-14-01-5_en.pdf
【*4】報告書本体(英語版)のPDFファイル版は次のURLで入手できる。
http://www2.europarl.eu.int/omk/OM-Europarl?PROG=REPORT&L=EN&PUBREF=-//EP//NONSGML+REPORT+A5-2001-0264+0+DOC+PDF+V0//EN&LEVEL=3

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NSAの通信傍受システム(2/5)

『監視カメラ社会』(講談社+α新書、2004、絶版)の第二章「NSAとエシュロン」その2/5
 
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■監視システムに参加する日本
 日本にも日本なりの監視システムへの関与の方法がある。2002年2月16日に「エシュロンに反対する国際集会」で講演したイルカ・シュレーダー欧州議会議員は、「日本はあたらしい加盟国」と指摘している(*7)。ドイツ、韓国、トルコ、ノルウェーとともに第三の加盟国として情報の一部を提供されている、というのだ。
 実際、2000年11月8日に日本赤軍最高幹部の重信房子が大阪で逮捕された際に、外部の情報機関から警察に情報が提供された可能性が指摘されている。この突然の逮捕劇は、30年ちかくにわたって国際手配されていた大物が対象だっただけに、マスコミでも大いに注目された。そして同年11月24日付の「週刊ポスト」(小学館)は、その幻影を捉えたのは、世界規模の通信傍受システムではないかと指摘した。同誌掲載の『「IT諜報機関」に追いつめられた「55歳・重信房子」の誤算』という記事は、軍事ジャーナリストの神浦元彰のコメントで、重信容疑者が交信した電子メールが傍受された可能性に言及している。
 この逮捕劇では、目撃者からの通報から内偵がはじまった、という報道もあった。しかし、空港の出入国審査官でさえ重信容疑者を再三見落としていたのである。ましてや国際指名手配の写真を日常的に確認する機会などほとんどない一般市民が、たまたま街で見かけた女性を「重信房子ではないか?」と疑い、わざわざ警察に通報するだろうか。捜査当局すらも、まさか大阪にいるなどとは想像できなかったというのだから、重信容疑者の足跡を追いかけていた情報機関からの情報提供によって内偵がはじまったと考えるほうが現実的だと私は考える。
 日本の官公庁のなかで治安や防衛関係の情報収集活動をおこなっている機関に、内閣情報調査室、警察庁国際テロ対策室、防衛庁情報本部、そしてオウム真理教事件で有名になった公安調査庁などがある。このなかでも、警察庁国際テロ対策室は、海外で活動する過激派を調査しており、米国CIA、英国MI6、イスラエルのモサドなど海外の機関と情報交換をおこなっているといわれる。ならば、中東情勢に関心が深いCIAなりモサドから重信容疑者の情報が警察庁に伝えられた可能性は、十分にあったはずだ。もちろんこれは私の推測にすぎないし、週刊ポスト記事の憶測を裏付ける公式発表は一切ない。しかし、テロ容疑者の捜索方法を警察が開示することはありえないはずである。
 日本がUKUSA秘密協定の「サードパーティ」であるとの指摘は、エシュロンがマスコミの話題にあがったころから存在した。1999年に成立したいわゆる通信傍受法は、秘密協定下での情報収集活動を円滑に進めるためという憶測さえあった。米軍三沢基地が信号傍受・分析(SIGINT:Signal Intelligence)の重要拠点であることも、ジェフリー・ライチェルソンが収集した米海軍公文書に記載されていた。
 シュレーダー議員の指摘は真新しい内容を含むものではないが、欧州議会の議員が公の席でこのような指摘をしたことに私は注目したい。日本もけっしてナイーブな“被害者”ではないのだ。実際、北朝鮮の不審船に関する警告を日本に与えたのは米国であり、テポドンや核開発疑惑に関する情報もまた米国頼みだ。こうした現実がある以上、日本がUKUSA秘密協定になんらかの形で関与していることは、その是非はともかくとして、十分に考えられることである。それどころか、同盟国の情報のネットワークに一切関与させてもらえていなかったとすれば、安全保障政策的に大きな手抜かりがあったと見るべきだと私は考える。

■同盟国の監視
 企業活動がグローバル化した結果、同盟国間の利害関係が複雑に錯綜する事態となった。東西冷戦構造の終結により、企業活動こそが国家間の主たる紛争テーマとなった。かつては東側諸国の外交官が欧米でスパイ容疑にかけられ、国外追放処分にあったが、現代では米国の外交官がフランスやドイツで産業スパイとして糾弾される時代なのだ。
 米国ではクリントン政権時代に情報機関の役割が大きく変化している。クリントン大統領はCIAなどの情報機関に対し、米国企業の商談がライバル企業の贈収賄活動によって不利に進むことを阻止するために、経済情報の収集を最大の任務にするよう命じたのだ。そのことは、ジェイムズ・ウールジー元CIA長官がワシントンの外国人プレスセンターで2000年3月7日におこなった記者会見で触れている(*8)。この会見でウールジーは、外国企業や政府関係者を諜報活動の対象にするケースとは、第一に経済制裁を科している国の経済活動を把握すること、第二に化学物質やハイテク機器などの軍事利用を監視すること、そして第三に商談で贈収賄が介在しているかを察知することだ、と述べている。
 日本が米国情報機関スパイの標的とされた事例としては、1995年6月に橋本通産大臣とカンター米通商代表(いずれも当時)の日米自動車交渉がよく知られている。CIAとNSAが日本側代表団の内部会話を盗聴し、カンター代表に毎朝報告していた、という疑惑が交渉の数ヶ月後に持ち上がったのだ。これは同年10月15日付のニューヨークタイムズ紙が一面でスクープした報道によるもので、日本のマスコミもすぐに反応し、10月18日付の読売新聞は「日米の信頼損なう盗聴疑惑」と題する社説まで掲載している。
 もちろん日本とて、情報活動の“加害者”である点で例外ではない。たとえば1997年2月15日付の産経新聞の報道によれば、元ウォールストリートジャーナル紙記者のジョン・ファイアルカが自著に、日本政府が米国政府代表団の宿泊するホテルを少なくとも15年間にわたって盗聴していた、と証言する米国商務省高官2名のインタビューを収録した(*9)。おなじ著書のなかで、ニューヨークタイムズ紙が日米自動車交渉で米側が盗聴をおこなったと報道したとき、日本政府筋が懸念を示したこともジェスチャーにすぎない、と指摘している。
 いずれにせよ、情報収集活動に関するかぎり、完全なクリーンハンドを持つ国などないということは、認識しておくべきだろう。

■エシュロンの成果
 エシュロン問題を追及したスコット人ジャーナリストのダンカン・キャンベルの調査によれば、エシュロンによる通信傍受活動によって、過去10年に日本企業は9件の国際入札で米系企業に敗れた。そのひとつ、1994年にAT&T社が落札したサウジアラビアの電話通信網整備事業は、39億ドルに上る史上最大規模のものだった。時事通信社の当時の報道によれば、サウジアラビアの国際入札では、フランスのアルカテル社、日本のNEC、ドイツのシーメンス社などがAT&Tよりも低い応札額を出していたにもかかわらず、サウジアラビア国王に対するクリントン政権の働きかけが、土壇場の逆転劇につながった可能性があるという。
 ダンカン・キャンベルはまた、米国当局の典型的な産業諜報活動の“成果”を二事例、さらに指摘している。ひとつは1994年のブラジル政府によるSIVAMと呼ばれるアマゾン川流域環境監視システム事業だ。当初はフランスのトムソン−CSF社が有利に商談を進めていたが、NSAのシュガーグローブ基地がトムソンとブラジル間の電話を傍受した。その報告を受けたクリントン大統領はブラジル政府に対し、フランス企業が賄賂を贈って受注しようとしていると警告した。総額13億ドルにもおよぶこの商談は、米国のレイセオン社が落札した。ちなみにフランス政府は1995年5月に在仏米国大使館勤務のCIA職員の国外退去を求めたが、これはブラジルでの商戦の報復とする意見がある。
 SIVAM商戦とおなじ年、サウジアラビアでの航空商戦でも、欧州のエアバス社とサウジアラビア国営航空、サウジアラビア政府とのあいだで交わされたファックスや電話をNSAが傍受し、エアバス社側の贈収賄行為を察知した。このときもクリントン大統領がサウジアラビア国王に親書を送って警告し、数十億ドル規模の航空商戦は米国のボーイング社とマクダネル・ダグラス社が受注した。
 1994年当時は、クリントン大統領が「ダラー・ディプロマシー」と呼ばれるほど積極的に国際商戦に関与した。米国の大手電気通信会社が、途上国での電話網工事を相次いで落札するという実績もあがっている。当時の報道(*10)では米業界の強力なロビー活動にしか言及していないが、その背後で米国の情報機関が支援していた可能性は十分にあるはずだ。
 このような経緯を見ると、エシュロンの成果と役割の重要さを実感できるかもしれない。しかしそれは誇張であると私は考える。そもそも米国政府がたったひとつの情報収集手段に依存するだろうか。情報機関は複数の情報収集ルートを持つはずだし、あらゆる情報は、ほかの情報源から入手した複数の情報を用いて検証するはずである。国際商談ともなれば、多くの情報が交錯するのが当然であり、なかには情報操作を狙った意図的なリークもあるだろう。逆転の落札をえるまでには、さまざまな駆け引きや情報戦が展開されたはずであり、そのひとつの道具としてエシュロンがあった、ぐらいに考えるべきだと私は指摘したい。


(*7)『「日本もエシュロン加盟」欧州議会議員が指摘』共同通信、2002.2.16
(*8)"Formaer CIA director Woolsey delivers remarks at foreign press center", James Woolsey, 2000.3.7, http://cryptome.org/echelon-cia.htmで公開
(*9)『日本政府が米代表の会話盗聴 米大手新聞社の記者が発表』産経新聞東京朝刊、1997.2.15
(*10)『米国の電気通信会社、海外での落札相次ぐ』毎日新聞東京朝刊、1994.5.20


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NSAの通信傍受システム(1/5)

米国の情報機関NSAが個人の通話記録を秘密裏に収集していたという「スキャンダル」が、2013年6月に英紙Guardianや米紙Washington Postに暴露された。NSAの情報活動といえば2000年前後に「エシュロン計画」が話題になり、このニュースで当時のことを思い出した人もいるはずである。そこで、拙著『監視カメラ社会』(講談社+α新書、2004、絶版)の第二章「NSAとエシュロン」を複数のエントリーに分けて掲載する。

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■エシュロンの虚実
 これまでに何度も言及してきたエシュロンは、厳密にいえば、いまだにその存在は米国政府から公式には認められていない。しかし、さまざまな証言や証拠からエシュロンの存在は確実視されているし、これまでに進められてきた米国の世界戦略を考えれば、地球規模の通信傍受システムが構築されていたところで、なんら不思議はない。とはいえ、公式発表がないため、その姿をめぐっては憶測が飛び交い、脅威が誇張された面も否定はできない。
 もっとも極端なエシュロン像は、地球上のあらゆる通信を常時モニタリングし、内容を自動的に認識してデータベース化する、というものだ。しかし、音声や手書き文字の自動認識は、技術的に十分な実用レベルには達していない。また、街中の携帯電話が発する微弱な電波を宇宙空間で網羅的に捕捉することもきわめて困難だ。中継点以外では信号の漏れがない光ファイバ通信を傍受するためにも、従来とは異なる技術開発が必要である。あらゆる通信を自動的に傍受できれば、監視する者には理想的だろうが、まだまだ技術が追いついていないのである。
 では、エシュロンの実像はどう捉えたらいいのか。その発端は第二次世界大戦の暗号解読にたどりつける。米国防総省にNSAという組織が設立されたことによって、信号や通信の傍受が組織的に進められることとなった。また、暗号解読の際に締結された英国と米国の協定は大戦後も引き継がれ、冷戦構造を背景に、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドも加わることとなった。こうして、旧共産圏のミサイル発射信号や長距離通信を傍受する地球規模の仕組みができあがったのだ。その間の情報処理通信技術の進歩を受け、この仕組みは巨大なコンピュータ・ネットワークという姿をとるようになる。これがエシュロンの輪郭だ。
 エシュロンの役割は時代の変化とともに方向転換を余儀なくされたはずである。東西陣営の対立による冷戦構造の終結という国際情勢の変化、インターネットの普及という通信需要の変化、情報処理技術の劇的な進化という技術環境の変化によって、情報収集の対象や手段が変わってきたのだ。したがって、1940年代の状況に端を発するエシュロンの原形は、環境変化がもっとも激しかった1990年代には、むしろ時代遅れといっていいものだった。しかし、米国防総省が21世紀に入ってから進めている監視システムは、エシュロンの21世紀バージョンといっていいかもしれない。

■英米秘密協定
 エシュロンの出発点は、第二次大戦直前の英国と米国の二国による情報活動の連携だ。英米がUKUSA秘密協定と呼ばれる通信傍受活動の同盟を結ぶにいたるまでには、エシュロン臨時委員会報告書の記述を年表風にまとめると、〈表1〉のようになる。英米が地球規模の情報収集活動で協力を進める秘密協定を1940年代末に締結後、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの三ヶ国が「セカンド・パーティ」としてUKUSA協定に参加した。この秘密協定が公に確認されたのは、1999年3月16日のことである(*1)。
 米国のNSA、英国のGCHQ(*2)、カナダのCSE(*3)、オーストラリアのDSD、そしてニュージーランドのGCSB(*4)の五つの情報機関に緊密な関係があるということは、1999年前後に複数の調査や証言であきらかになりつつあった。英国の情報および安全保障委員会の1999/2000年年報は、英国議会の監視組織が米NSAと英GCHQの緊密な関係に触れている。ニュージーランドの首相府は2000年に、GCSBは国際的な協定にもとづいて他国の情報機関とのあいだで通信のセキュリティ技術について情報を交換しており、そのパートナーは米NSA、英GCHQ、豪DSD、加CSEであると公表した。
 英語圏五ヶ国が運営するエシュロンは、通信傍受システムとしては地球上で最大規模のものと考えられているが、他の国や地域ブロックとて似たようなことはしている。欧州議会がエシュロンの調査に乗り出した際に、UKUSA秘密協定をもっとも激しく非難した国はフランスだった。ところがそのフランスもまた、エシュロンとおなじような地球規模の通信傍受システムを持っており、ドイツが資金や技術面で協力していることが1998年6月第一週発売の週刊誌ル・ポワンに暴露されたのである(*5)。記事によれば、フランスの対外保安総局DGSE(*6)は、国内の都市に衛星通信の傍受施設を設置しているほか、ニューカレドニアなどの海外領土にも傍受基地を置いている。フランス政府が南太平洋の植民地経営に執心している理由のひとつは、世界規模の傍受体制を維持したいからだ。
 そもそも欧州議会のエシュロン臨時委員会報告において、海外領土を広範囲に持つフランスはEU加盟国では唯一単独でエシュロン的なシステムを構築しうることが指摘されている。エシュロンに対するフランス当局による非難の矛先は、その存在自体ではなくて運用体制にあると見ていいだろう。英米に対する政治的な牽制という面もあるはずだ。通称「フレンシュロン」の傍受能力は、エシュロンとは比較にならない水準だという。エシュロンに対するフランスの反応は、技術的遅れに対するあせりが本音なのではないかと私は推測している。
 どの国も監視システムは必要だと考えており、要は、技術・経済・領域などの制約条件のもとで、どう実現するかが問題なのだ。前述ル・ポワン誌の記事に引用された傍受システムの運用関係者の言葉を借りれば、「向こうがやればこっちもやるし、やるからにはおなじ精度を目指す」のである。


(*1)オーストラリアでその日に放送されたテレビ番組「Sunday」のなかで、オーストラリアの情報機関DSD(Defence Signals Directorate)のマーチン・ブレディ長官が番組に宛てた手紙が公開された。そのなかで長官は、UKUSA協定にもとづいてDSDが他国の諜報機関と協力していることを認めた。
(*2) GCHQ : Government Communications Headquarters
(*3) CSE : Communications Security Establishment
(*4) GCSB : Government Communication Security Bureau
(*5) "Les Francais aussi ecoutent leur allies", Jean GUISNEL, Le Point, 1998.6.6, no.1342
(*6) DGSE : Direction Generale de la Securite Exterieure

表1
時期出来事
1940年米国が英国にSIGINTの連携を呼びかけ
1941年2月米国の暗号解読班がイギリスに暗号機提供
1941年6月英国はドイツの暗号コードENIGMAを解読
1942年米国の第二次大戦参戦はSIGINTの協力体制を加速させ、米海軍暗号解読班は英国で活動
1943年BRUSA-SIGINT協定が署名され、傍受内容や解読された情報が交換(米国は主として日本を、英国はドイツとイタリアを担当)
1945年9月トルーマンは最高機密の覚書に署名し、平時でもSIGINT同盟を継続
1946年2・3月英米SIGINT会議がおこなわれ、同盟の詳細について議論
1948年6月UKUSA協定の詳細が策定
出所:エシュロン臨時委員会報告書(欧州議会)をもとに作成

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