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2013年07月05日

NSAの通信傍受システム(3/5)

『監視カメラ社会』(講談社+α新書、2004、絶版)の第二章「NSAとエシュロン」その3/5

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■エシュロンの幻影と輪郭
 ここで簡単に整理しておくと、エシュロンとは、米国、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの英語圏五ヶ国がUKUSA秘密協定のもとで共同運営している地球規模の通信傍受システムだ。傍受対象は主として国際衛星通信である。エシュロンを構成するのは、宇宙空間で通信を傍受する人工衛星、宇宙空間から返される電波を傍受するパラボラアンテナ基地、傍受したデータを中継し分析するコンピュータ・ネットワークおよびデータベースシステムであり、技術的な特徴および規模はインターネットにほぼ相当すると推察されている。
 情報機関による傍受や盗聴の対象には、レーダー波やミサイル発射指令信号などのシグナルも含まれる。これらの収集活動は総括してSIGINTと呼ばれている。一方、SIGINTのなかでもとくに通信に限定したものをCOMINT(Communication Intelligence)という。SIGINTは1940年代から米軍が実施してきた。今日、エシュロンが担っているのは、地球規模のCOMINTである。
 こうした輪郭は、1988年にダンカン・キャンベルがはじめて描き出した(*13)。そして1990年代に入ってからは、ニュージーランドのニッキー・ヘイガー(*14)など多くのジャーナリストや研究者が、関係者への地道なインタビューや機密解除された公文書などを丹念に調べたうえで明確にしてきたことである。彼らがもたらした情報は、1998年から2001年にかけて、日本のマスコミも断片的に紹介してきた。ところが、日本でのエシュロン関係の報道は、米国で流れた噂レベルの情報を伝えるものも少なくなかった。そもそも情報機関の関係者の証言とされる情報ですらも、当局による情報操作である可能性は否定できないのだ。
 こうした点に注意しながら、欧州議会報告書でまとめられた情報を中心にエシュロン像を描いてみると、この傍受網は、国際通信の傍受を想定したシステムなのではないか、というのが私の感想である。

■過大評価されたエシュロン像
 そもそも「エシュロン」とは具体的に何なのか。米国のNGO、ナショナル・セキュリティ・アーカイブ(National Security Archive)の元研究員ジェフリー・ライチェルソン(*15)は、2001年5月11日にワシントンDCで開催された臨時委員会で、エシュロンは情報活動で交換するデータを選別するコンピュータ・ネットワークの名称であると述べた。ジェイムズ・バンフォード(*16)は著書『ボディ・オブ・シークレッツ(Body of Secrets)』(2001年刊行)のなかで、エシュロンはUKUSA協定のもとで設置された傍受システムの名称であると書いた。また、マーガレット・ニューシャムは、傍受システムは「シルクウォース(SILKWORTH)」と呼ばれ、エシュロンはネットワークの名称であると証言した。
 エシュロンの輪郭をもっとも克明に描き出したのは、欧州議会が1998年から2001年にかけてまとめた報告書だ。エシュロン問題を熱心に取り扱った産経新聞の連載「エシュロン大研究」(*17)でも、欧州議会の報告書に準拠した箇所が多い。ここでは欧州議会で報告書が取りまとめられた経緯と内容の概略を〈表2〉にまとめてみた。
 欧州議会のエシュロン臨時委員会報告に対し、真新しい事実は何もないとの批判がある。列記されている事実関係や証言などは、たしかにそれまでのマスコミ報道やNGOが公表してきた事柄だ。しかし、エシュロンに関しては憶測や風説が多かった。欧州議会報告書では、それらを取捨選択し、調査時点までに明かされてきた事実の断片を網羅的に整理している。今後のエシュロン研究の土台となった点を私は評価したい。
 2001年の最終報告書で強調された点は、それまでに考えられてきたエシュロンの能力——とりわけ1998年の暫定レポートで言及されていた「地球上のあらゆる通信を傍受可能」という推測が、過大評価であるとの結論だ。
 エシュロンと呼ばれる地球規模の通信傍受システムが、UKUSA協定にもとづいて英米およびカナダ、オーストラリア、ニュージーランドの五ヶ国によって運営されていることは、疑問の余地がないと断定している。エシュロンの目的が個人や企業の通信を傍受することにある点も、大きな問題であるとの認識を示している。他方、監視システムは衛星通信の傍受が中心だと指摘した。有線通信の盗聴や地上無線波の傍受はおこなわれているけれども、あらゆる通信を網羅的に傍受することは実現不可能であるとも結論づけた。
 エシュロン像は、1990年代末の報道や評論で言及された内容にくらべると、ずいぶんとこぢんまりとした姿に落ち着いた。しかし、現実の技術レベルから推測するなら、この報告書に描かれた姿が“正解”に近いのではないかと私は考える。ただし、米国政府はエシュロン以外の監視技術も開発しており、最近になって判明したシステムのなかには、「過大評価されたエシュロン像」に近いものもある点には注意する必要がある。

■発展途上の技術
 エシュロン臨時委員会報告書からは、エシュロンの技術的な弱点をふたつ読みとれる。第一に音声会話の自動認識が困難なこと、第二に光ファイバ通信を簡単には傍受できないことだ。
 第一の点については、1999年にダンカン・キャンベルが執筆した科学技術オプション査定プログラム事務所(STOA:Scientific and Technological Options Assessment)報告書においてすでに、能力的な限界が指摘されている。NSAは40年以上も音声認識研究を支援しているものの、音声の自動認識をCOMINTで応用しようと思ったら、いちども聴いたことのない話者を対象に、マルチスピーカー・マルチリンガル環境での動作を想定しなければいけない。特定の言語を用いる特定話者の会話であれば、実用に耐える認識率を達成できる。しかし、不特定話者の会話内容を自動認識することは現時点でもきわめて困難なのだ。
 一方、声紋型の話者特定システムは、すくなくとも1995年以降に通信傍受で応用されている。エシュロンの〈辞書〉を使用しているSIGINTスタッフによれば、電話の会話音声から特定の話者を検索するプログラムを組むことは十分に可能であるという。また、STOA報告書でも、麻薬カルテルのリーダーであったパブロ・エスコバールの逮捕を話者特定システムの成果としてあげている。
 9.11後もNSAの話者特定システムは駆使され、テロ立案の中心人物とされるアルカイダ幹部ラムジ・ビナルシブ被告の逮捕(2002年10月11日)をもたらした。ニュースを報じた英国サンデータイムズ紙によると(*18)、米国情報機関は数ヶ月間、パキスタンからの全衛星電話を傍受し続けた。NSAは電話会話から声紋を照合し、逮捕の前の週に捕捉したひとつの会話がビナルシブ被告の声紋と1致することを発見した。この声紋は、同月初頭にカタールのアルジャジーラ放送のインタビューにビナルシブ被告が応えたときにえられたものである。
 第二の点、光ファイバ通信の傍受については、技術とコストの問題がからんでくる。同軸ケーブルの通信であれば、軸から漏洩する電磁波を傍受できる。STOA報告書によれば、1970年代から80年代初頭にかけて、米海軍は潜水艦を用いてオホーツク海の海底ケーブルにコイルを巻きつけ、ソ連(当時)の通信を傍受していた。コード名「IVY BELLS」で実行されたこの作戦は、元NSA職員が情報をソ連に売り渡したため1982年に終結した。しかし、その後も米国は同様の作戦を他の海域でもおこない、1985年には、欧州と西アフリカの通信を傍受するために地中海のケーブルにもコイルを仕掛けた。
 米海軍幹部の発言によると、9.11以降、米軍の攻撃型原潜の任務のなかで通信傍受が大幅に増えているという(*19)。原潜であれば一ヶ月以上もの長期にわたってケーブル通信を傍受できるうえ、傍受活動には必須の隠密行動も保てるわけだ。ただしこの作戦は、高価な潜水艦をいわば借り切るわけだから、衛星通信の傍受にくらべてコスト高なのだ。大規模で網羅的な通信傍受には適していない。
 一方、電磁誘導が不可能な光ファイバ通信、とりわけ電気的な処理で信号を中継する必要のない新世代の光ファイバ通信では、同軸ケーブルのような方法では傍受ができない。ところが、ダンカン・キャンベルが毎日新聞に指摘したところによると、NSAは光ファイバ通信の傍受計画に着手した(*20)。彼は、NSAが申請した光ファイバ技術の特許資料を分析し、さらに米軍関係者の話を総合したうえで、そう結論づけたのだ。
 エシュロン臨時委員会報告書ではエシュロンの傍受能力の限界が浮き彫りになる一方で、それを克服しようとする努力をNSAは進めている。実際、9.11では、エシュロン(およびFBIのカーニボー)が同時多発テロを防げなかった事実が鮮明になった。そして非難の矛先を向けられたNSA、CIA、FBIなどは、むしろこれを監視システム強化の契機と位置づけているようだ。傍受能力の限界の露呈は監視システムの否定ではなく、テロ克服という至上命題のもと、その強化の推進力に転換されている論理にこそ警戒が必要だと私は考える。


(*11) "Echelon was my baby:interview with Margaret Newsham", Bo Elkjaer & Kenan Seeburg, November 17,1999, Ekstra Bladet, Denmark、テキスト(英訳)はhttp://cryptome.org/echelon-baby.htmで公開されている。
(*12) http://cryptome.org/echelon-60min.htmにインタビューの内容がテキストで公開されている。
(*13) "Somebody's listening", Duncan Campbell, New Stateman, August 12,1988
テキストの全文はhttp://duncan.gn.apc.org/echelon-dc.htmで公開されている。
(*14)" Secret Power-New Zealand's Role in the International Spy Network", Nicky Hager, Craig Potton Publishing, New Zealand, 1996 ※ http://www.fas.org/irp/eprint/sp/index.htmlで1・2章の全文を読める。
(*15) NSAの傍受活動や組織形態などに関する機密解除文書をインターネットで公開している。公開した文書に「Echelon」の名称が含まれており、これがエシュロン実在の根拠のひとつになった。http://www.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB23/index.htmlに関連文書が公開されている。
(*16) NSAのSIGINT活動にはじめて取り組んだ。1982年刊行の"The Puzzle Palace"でUKUSA協定を詳細に記述した。
(*17)連載終了後は加筆修正を経て『エシュロン——アメリカの世界支配と情報戦略』(産経新聞特別取材班/著、角川書店/刊、2001年12月10日発行)に単行本化された。
(*18) "SEPT 11 MASTERMIND TRAPPED BY PHONE CALL", Sunday Times, September 15,2002, Nick Fielding and Nicholas Rufford, "PHONE CALL GAVE AWAY AL-QAEDA HIDEOUT;FOCUS", Sunday Times, September 15,2002, Nick Fielding
(*19)『米原潜/テロ後、任務が3割増/電話などの通信傍受で』琉球新報夕刊、2002年7月8日、森暢平駐在員
(*20)『[テロと国際社会]第4部 自由の行方1 その1 海底にも「闇の耳」』毎日新聞朝刊、2002年3月18日

表2
時期活動内容
1997年欧州議会で科学技術政策を審議するSTOA(Scientific and Technical Options Assessment:科学技術選択肢評価)委員会がエシュロン問題を取り上げた。
1997年
12月18日
「An Appraisal of The Technologies of Political Control(政府の管理技術の評価)」という暫定報告書が同委員会で提示された。【*1】
1998年9月STOA報告書の改訂版が公開された。【*2】
1999年10月全5巻からなる「Development of surveillance technology and risk of abuse of economic information(監視技術の開発と経済情報悪用の危険性)」というSTOA報告書が公表された【*3】。NSAやエシュロン、UKUSA協定が記述された第二巻「傍受能力2000」(この巻の公開は1999年4月)はIPTV社(英国スコットランド、エジンバラ)のダンカン・キャンベルが執筆。
また、第5巻「電子メディアの傍受に対する潜在的な脆弱性によって生じる経済的危機の認識」では、有識者に対して通信傍受の認識をデルファイ形式のアンケート調査をおこなうとともに、エシュロンを含む地球規模の傍受システムによる事例を提示している。レポートを執筆したのは、民間コンサルタント会社のゼウスEEIG(European Economic Interest Group)社(ギリシャ、パトラ)のニコス・ボゴリコス。
2000年7月5日欧州議会はエシュロンの臨時調査委員会を発足させた。
2001年
7月11日
欧州議会は調査委員会より最終報告書を受け取った。報告書(英語版)は付属資料とあわせて全194ページからなり、エシュロンの実在を証明する事実関係や証言を整理した【*4】。また、通信傍受の技術的な可能性、国際的な傍受システムを構築する経緯、米国と英国が締結した秘密協定の概要を記述した。
【*1】全十一章と付属資料とから成るこのレポートを執筆したのは、オメガ財団(英国マンチェスター)のスティーブ・ライト研究員。第四章の「Developments in Surveillance Technology(監視技術の開発)」では盗聴や通信傍受が取りあげられ、第四節「National & International Communications Interceptions Networks(国内および国際通信の傍受ネットワーク)」では、米国NSAのEUにおける通信傍受ネットワークに言及している。
【*2】全体構成は九章と付属資料。「Developments in Surveillance Technology(監視技術の開発)」は第七章に移っている。改訂版報告書は次のURLで入手できる。http://www.europarl.eu.int/stoa/publi/166499/execsum_en.htm
【*3】二〜五巻の内容は次のとおり(第一巻は二〜五巻の概要)。
二巻「Interception Capabilities 2000」
三巻「Encryption and cryptosystems in electronic surveillance: a survey of the technology assessment issues」
四巻「The legality of the interception of electronic communications: a concise survey of the principal legal issues and instruments under international, European and national law」
五巻「The perception of economic risks arising from the potential vulnerability of electronic commercial media to interception」
 各巻(英語版)は次のURLでPDF版を入手できる。
http://www.europarl.eu.int/stoa/publi/pdf/98-14-01-1_en.pdf
http://www.europarl.eu.int/stoa/publi/pdf/98-14-01-2_en.pdf
http://www.europarl.eu.int/stoa/publi/pdf/98-14-01-3_en.pdf
http://www.europarl.eu.int/stoa/publi/pdf/98-14-01-4_en.pdf
http://www.europarl.eu.int/stoa/publi/pdf/98-14-01-5_en.pdf
【*4】報告書本体(英語版)のPDFファイル版は次のURLで入手できる。
http://www2.europarl.eu.int/omk/OM-Europarl?PROG=REPORT&L=EN&PUBREF=-//EP//NONSGML+REPORT+A5-2001-0264+0+DOC+PDF+V0//EN&LEVEL=3

※この内容は執筆時点で確認したものである。また、書籍の内容はこのテキストから校正を経たものであるため、一部異なっている部分がある。
※リンク先はすでに切れている可能性もある。

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