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2013年07月05日

NSAの通信傍受システム(1/5)

米国の情報機関NSAが個人の通話記録を秘密裏に収集していたという「スキャンダル」が、2013年6月に英紙Guardianや米紙Washington Postに暴露された。NSAの情報活動といえば2000年前後に「エシュロン計画」が話題になり、このニュースで当時のことを思い出した人もいるはずである。そこで、拙著『監視カメラ社会』(講談社+α新書、2004、絶版)の第二章「NSAとエシュロン」を複数のエントリーに分けて掲載する。

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■エシュロンの虚実
 これまでに何度も言及してきたエシュロンは、厳密にいえば、いまだにその存在は米国政府から公式には認められていない。しかし、さまざまな証言や証拠からエシュロンの存在は確実視されているし、これまでに進められてきた米国の世界戦略を考えれば、地球規模の通信傍受システムが構築されていたところで、なんら不思議はない。とはいえ、公式発表がないため、その姿をめぐっては憶測が飛び交い、脅威が誇張された面も否定はできない。
 もっとも極端なエシュロン像は、地球上のあらゆる通信を常時モニタリングし、内容を自動的に認識してデータベース化する、というものだ。しかし、音声や手書き文字の自動認識は、技術的に十分な実用レベルには達していない。また、街中の携帯電話が発する微弱な電波を宇宙空間で網羅的に捕捉することもきわめて困難だ。中継点以外では信号の漏れがない光ファイバ通信を傍受するためにも、従来とは異なる技術開発が必要である。あらゆる通信を自動的に傍受できれば、監視する者には理想的だろうが、まだまだ技術が追いついていないのである。
 では、エシュロンの実像はどう捉えたらいいのか。その発端は第二次世界大戦の暗号解読にたどりつける。米国防総省にNSAという組織が設立されたことによって、信号や通信の傍受が組織的に進められることとなった。また、暗号解読の際に締結された英国と米国の協定は大戦後も引き継がれ、冷戦構造を背景に、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドも加わることとなった。こうして、旧共産圏のミサイル発射信号や長距離通信を傍受する地球規模の仕組みができあがったのだ。その間の情報処理通信技術の進歩を受け、この仕組みは巨大なコンピュータ・ネットワークという姿をとるようになる。これがエシュロンの輪郭だ。
 エシュロンの役割は時代の変化とともに方向転換を余儀なくされたはずである。東西陣営の対立による冷戦構造の終結という国際情勢の変化、インターネットの普及という通信需要の変化、情報処理技術の劇的な進化という技術環境の変化によって、情報収集の対象や手段が変わってきたのだ。したがって、1940年代の状況に端を発するエシュロンの原形は、環境変化がもっとも激しかった1990年代には、むしろ時代遅れといっていいものだった。しかし、米国防総省が21世紀に入ってから進めている監視システムは、エシュロンの21世紀バージョンといっていいかもしれない。

■英米秘密協定
 エシュロンの出発点は、第二次大戦直前の英国と米国の二国による情報活動の連携だ。英米がUKUSA秘密協定と呼ばれる通信傍受活動の同盟を結ぶにいたるまでには、エシュロン臨時委員会報告書の記述を年表風にまとめると、〈表1〉のようになる。英米が地球規模の情報収集活動で協力を進める秘密協定を1940年代末に締結後、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの三ヶ国が「セカンド・パーティ」としてUKUSA協定に参加した。この秘密協定が公に確認されたのは、1999年3月16日のことである(*1)。
 米国のNSA、英国のGCHQ(*2)、カナダのCSE(*3)、オーストラリアのDSD、そしてニュージーランドのGCSB(*4)の五つの情報機関に緊密な関係があるということは、1999年前後に複数の調査や証言であきらかになりつつあった。英国の情報および安全保障委員会の1999/2000年年報は、英国議会の監視組織が米NSAと英GCHQの緊密な関係に触れている。ニュージーランドの首相府は2000年に、GCSBは国際的な協定にもとづいて他国の情報機関とのあいだで通信のセキュリティ技術について情報を交換しており、そのパートナーは米NSA、英GCHQ、豪DSD、加CSEであると公表した。
 英語圏五ヶ国が運営するエシュロンは、通信傍受システムとしては地球上で最大規模のものと考えられているが、他の国や地域ブロックとて似たようなことはしている。欧州議会がエシュロンの調査に乗り出した際に、UKUSA秘密協定をもっとも激しく非難した国はフランスだった。ところがそのフランスもまた、エシュロンとおなじような地球規模の通信傍受システムを持っており、ドイツが資金や技術面で協力していることが1998年6月第一週発売の週刊誌ル・ポワンに暴露されたのである(*5)。記事によれば、フランスの対外保安総局DGSE(*6)は、国内の都市に衛星通信の傍受施設を設置しているほか、ニューカレドニアなどの海外領土にも傍受基地を置いている。フランス政府が南太平洋の植民地経営に執心している理由のひとつは、世界規模の傍受体制を維持したいからだ。
 そもそも欧州議会のエシュロン臨時委員会報告において、海外領土を広範囲に持つフランスはEU加盟国では唯一単独でエシュロン的なシステムを構築しうることが指摘されている。エシュロンに対するフランス当局による非難の矛先は、その存在自体ではなくて運用体制にあると見ていいだろう。英米に対する政治的な牽制という面もあるはずだ。通称「フレンシュロン」の傍受能力は、エシュロンとは比較にならない水準だという。エシュロンに対するフランスの反応は、技術的遅れに対するあせりが本音なのではないかと私は推測している。
 どの国も監視システムは必要だと考えており、要は、技術・経済・領域などの制約条件のもとで、どう実現するかが問題なのだ。前述ル・ポワン誌の記事に引用された傍受システムの運用関係者の言葉を借りれば、「向こうがやればこっちもやるし、やるからにはおなじ精度を目指す」のである。


(*1)オーストラリアでその日に放送されたテレビ番組「Sunday」のなかで、オーストラリアの情報機関DSD(Defence Signals Directorate)のマーチン・ブレディ長官が番組に宛てた手紙が公開された。そのなかで長官は、UKUSA協定にもとづいてDSDが他国の諜報機関と協力していることを認めた。
(*2) GCHQ : Government Communications Headquarters
(*3) CSE : Communications Security Establishment
(*4) GCSB : Government Communication Security Bureau
(*5) "Les Francais aussi ecoutent leur allies", Jean GUISNEL, Le Point, 1998.6.6, no.1342
(*6) DGSE : Direction Generale de la Securite Exterieure

表1
時期出来事
1940年米国が英国にSIGINTの連携を呼びかけ
1941年2月米国の暗号解読班がイギリスに暗号機提供
1941年6月英国はドイツの暗号コードENIGMAを解読
1942年米国の第二次大戦参戦はSIGINTの協力体制を加速させ、米海軍暗号解読班は英国で活動
1943年BRUSA-SIGINT協定が署名され、傍受内容や解読された情報が交換(米国は主として日本を、英国はドイツとイタリアを担当)
1945年9月トルーマンは最高機密の覚書に署名し、平時でもSIGINT同盟を継続
1946年2・3月英米SIGINT会議がおこなわれ、同盟の詳細について議論
1948年6月UKUSA協定の詳細が策定
出所:エシュロン臨時委員会報告書(欧州議会)をもとに作成

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